今悩みの中で、「生きるとは何か」と、考える余裕がなくなると、今のそれから抜けられないかもしれません。人間の一切の問題は「生きているから」生じるものだという単純なことに、気づかないからです。もし、この機会を得たなら、まず「生きるとは何か」と、調べてみたらいかがでしょうか。それを発見した人に、人は何をするべきか、何をしてはいけないのかが、明確に分かるはずなのです。

今のそれから抜けられないこの心の中に、過去の概念・将来の概念が無制限に入り込むと、何をしているのか分からない状態に陥ってしまいます。それがだんだんと迷いになり精神状態がいつ壊れてしまうか分からない生き方になっていきます。希望・願望などばかりを追う放逸という今の生き方に気づいてみると、今のそれから抜けられない理由がその放逸にあるということが分かってきます。

「生きるとは何か」と、今現在の自分を観察することで、それを発見してみましょう。

「生きるとは何か」というと、まったく把握できない曖昧な単語になりますが、しかし、生きてみると時間が経過していきます。瞬間瞬間、時間が経過していき、瞬間のあいだでは、どんな人でも大胆なことはできないのです。手を上げる、瞼を閉じる、足を上げる、足を下ろす、などの極めて単純な行為しかできないのです。その行為の連続を一束にまとめると、また実現離れした概念の「生きる」ということになります。

概念の「生きる」は、過去で起きて今、存在しない大量のデータと将来に起こるだろうと思う観念的なデータのみを含んでいるのです。そこにはいつも現在のデータはなく、

現在とは瞬間だけなので、まったくそれに気づかないのです。しかし、今の瞬間に気づいていると、「生きるとは何か」という問題に対する現実的なデータを収集できるはずです。そこでいとも簡単に、「生きるとは苦の連続以外の何でもない」と発見できのです。今まで無知の衝動で生きて、生きることに固執していたことを知るのです。そして、そこで生きるとは執着するに値しない、と発見するのです。

ときにはこのような空観を体験してみてはいかがでしょうか。この体験方法には、瞑想や峰入りや滝入りなどがあります。善悪や優劣や左右などの二極にいつもいるのではなく、概念的思考から離れながら、二極を超えるポジティブで明るい大いなるエネルギーにつながってみませんか。そして、偏見や先入観や固定概念が消え去った今という瞬間の永遠の広さの中に、自己の自然治癒力というエネルギーに気づくかもしれません。この受け入れる力がセルフケアにつながることができましたら幸いです。

瞑想、峰入り、滝入りの体験など、お気軽にご相談ください。

献水の滝物語 story of peace and waterfall

「般若心経」の世界から学ぶセルフケア