聴行庵
死と生の寄
り添い
ご縁をいただいた方々と葬送儀礼を行います。
まずご縁の方の死を看取り、その方の死を共に受け入れて、その方を死者として送り、その後に社会的な死の確認をして、ご遺体の処置を見届け、ご遺族の悲嘆に寄り添っていきます。また、初七日、四十九日、一周忌、三回忌などの法要をひとつひとつしっかりと努めながら、故人のための葬送儀式とご遺族のための悲嘆に寄り添う葬送儀礼を行っていきます。
葬送儀礼は、死の看取りと生の傾聴による救済であると考えています。
菩提寺のない方もどうぞ、お気軽にご相談ください。
現実的で安心に寄り添ったご予算に対応させていただきます。
東和空 合掌
看取り
「臨命終時」命が終わる時に臨むとき、死に対する恐怖やこれまでの人生に対する後悔や反省といった心の痛みも癒されてこそ、理想の死が迎えられます。
医療機器に囲まれた最期や独りぼっちで迎える死ではなく、自宅など慣れ親しんだ場所で愛する家族や親しい人達に囲まれながら人間として自然な最期を迎えたいと思う人がほとんどでしょう。そんな人の近くに寄り添い、手を握るなど肌に触れ、話を聞き、最期まで側にいる、そんなやさしい看取りの中で安らかに人生を終えるのは昔は当たり前の光景でしたが、核家族化や少子高齢化の現在の日本、更に高齢化が進む未来の日本にとっては難しくなっています。
死を目前にした方が「自分の一生はよい人生だった」と肯定しながら安らかに旅立てるよう魂の近くに寄り添うのが看取りです。誰にでも理想の最期があります。それは愛する人に見守られながらの死であったり、心安らかに逝きたいという願いもあるでしょう。その思いに寄り添い、人間としての尊厳ある死を迎えられるようプロデュースします。
どうぞ、ご家族親戚やご関係者の方は、お気軽にご相談ください。
看取り士 東和空
通夜
通夜とは臨終の際の看取りの延長にあたり、古来の蘇生を待つ儀礼や鎮魂を意味したモガリの風習が残っているとされています。臨命終時にあって、ご遺族や身近な人たちにとっては、それをすぐに受け入れられるものではありません。そこでご遺族は夜を通してかたわらに侍り、その死を徐々に受け入れていく時間なのです。
生と死の境界線上にある通夜では、死にゆく者と遺される者との最後の別れの時であり、それは息を引き取る瞬間というのではなく、看取るという過程の中での二人称の死について、ここでは僧侶を交えてゆっくりと受け入れていきたいものです。
葬儀
この時間は、いかにして死者として故人と向き合うかという瞬間です。僧侶としては、仏教としてのメッセージを送るために故人との精神的結びつきが行われる集中した時空です。時には会葬者の仲間の思いを集めたり、式典を行う関係者の緊張感と重々しい取り組み姿勢によって、ご遺族が弔問者に神経を奪われることなく、故人の生をありのままみつめ、受けとめる場にして、それを送りだす力にしていきます。そして、故人の往生とご遺族の悲嘆の癒しを同時に仏様の懐に包んでいただける ような小さくても大いなる儀礼にしていきます。
法事
初七日、四十九日、百か日、一周忌、三回忌などの法要は、故人の新しい生誕やお浄土での成仏を願い感謝し、ご遺族の悲嘆を癒し寄り添うための行事です。そして、仏教や日本人の精神性、死生観を学ぶ機会となり、また生活の悩みにお互いが傾聴する時間にもなります 。
僧侶と共に傾聴することが救い救われる仏教的生き方になりますことを願っています。
どうぞ、お気軽にご相談ください。
告別式
昔の葬列にとって代わった告別式は、社会的な死の確認儀礼であるといえます。葬列の時代にあって、位牌を手に持つというのは後継者の証であったり、喪主としてのこれからの役割を会葬者に表したものです。告別式では、故人に対する公の別れの場であると共に、これから生活するための新しい関係の取り結びのための場であるようにグリーフワークの一環としてお手伝いをさせていただきます。